塾長として子ども達への想いについて
まず先に申し上げておくことは、私は各種受験という事においてのみを行う意思は一切ありません。
それでも、各種受験や、学校対策、学力対策をしておくべきというのは、現在の日本のシステムがそうなっているからです。
例えばですが、中学3年生の6月の時期の過ごし方について話をすると、ここから7月、8月、9月、10月、11月、12月の6ヶ月で、次の3年間が決まるという現実があります。
これは、長年教育をしてきた事での事実です。
そしてそれは、今も変わりません。
そして、たった6ヶ月で、次の3年間がどうなるのかが決まるとどうなるか?
その先の未来に影響が出るというわけです。
その未来とは?要は高校生活や、高校受験後に影響が出ます。
なぜか?中学までは自動的に通うことになるので、勉強しようとしなくても、なんとなく過ごすことが出来ますが、高校からは、こういう言い方はあまりしたくはありませんが、ふるいに掛けられます。
ふるいにかけられて落とされたらどうなるか?
中学卒業後の人生にも大きな影響が出ます。
中学生活と、高校生活というのは学ぶことや体験することで1人の生徒が人格を成長させて大人の手前になるまでの大事な過程なわけです。
だから、中学3年生の6月という時期をを真剣に考えるべきという話になります。
この時期にゲームだとか、ネットとか直接入試に関係のないことで、時間を過ごす事は無駄なことになりかねません。
特にネットについては、今じゃなくてもいい情報だったりすることが多いです。
そして、ゲームが楽しかったとしても、3年後にそのゲームをしていない事の方が多いです。
そうなるとじゃあ、その3年間で行ったゲームというのは何だったのか?という事になります。
さらに言えば、そのゲームによって得られたことが仮に合ったとしても、日本の社会システムでそれを正当に評価するという事はありません。
なぜなら、義務教育期間から、高校生活までは学ぶ期間だからです。
なぜ、学ぶのか?学んだことを社会に出た時に活かすためです。
だから、現実から目を背けずに、真っ正面から正々堂々と受験に向かい合う。
その覚悟が1番大事なんです。
その覚悟がなければ行きたくもない高校にしか行けなかったり、あるいは選択肢の少ない偏差値の低い高校に行って、高校3年生の時にどうしようかと悩むようになったりすることになる。
そういう現実をしっかりとらえて受験に向けてもらう。
受験に合格したとしても合格後の3年間を自分の行きたい高校で過ごす。
そのために、今その覚悟をしっかり決めるということが大事なのです。
よく、「学歴だけじゃないよね。」と言う言葉を聞きます。
それは、学歴を持った人だけが言える話です。現実問題、学歴がなければ未来の選択肢はどんどん減っていきます。
学歴だけじゃないよねという言い方は、学歴から逃げる為の言葉という割合が高いと思います。
学歴はあって悪いものではないのです。
あればあるだけその先の人生を豊かにしてくれるツールとも言えるかもしれません。
それくらい重要なんです。
すべての決定権はこれからの自分の生活態度、学習に向かう学習姿勢それにかかってます。
厳しい言い方をするようだけども、生半可な気持ちじゃ受験を乗り越えられません。
ですが、受験に真剣に向き合えば、その過程も、社会に出た時に自分の心をささえる成功体験にもなるんです。
中学3年生を例に出しましたが、小鳩の集いでは、とにかく嫌なこと、面倒くさいことから逃げずに、それと真正面から向き合いしっかり頑張ってもらう様な指導を行います。
それが大人になるための準備という中学の目標でもあるのだから。
私はそう考えて、生徒たちに向き合います。
その過程で、プライベートの悩みや、気持ちの調整ができないという子には真正面から向き合います。
それが大人で塾長でもある私の役割です。
甘やかすわけではありません。
でも、自分でなんとかしろと突き放すのも大人がやることではないと思います。
子どもたち1人1人と向き合うこと。
これは、今も昔も変わりません。
だから、頑張れる。
だから、成績も上がる。
だから、受験もクリアできる。
仮に、受験にクリア出来なかったとしても、人生という受験をクリアできるように指導する。
私のプロフィールを読まれてある方や保護者の方で、もしお子さんの学業や成績が気になってあったり、受験対策が不安、その先の人生の事が不安と思われたらまずはご相談ください。
保護者の方に伝えたいのは、子供の力や成長力は無限大だという事です。
伝え方や、接し方、話し方、接する時間、そして教え方を工夫する。
それが、小鳩の集いです。
1人でも多くの生徒や保護者の方に頑張ってよかったという笑顔になってもらう為に…
塾長:小林 明宏
塾長経歴
- 1962年
4月11日 誕生 - 1963年
伯父が園長で母の勤務先である私立川久保幼稚園入園 - 1969年 4月
佐賀市立久保泉小学校へ入学 - 1974年 4月
久保泉小学校1学期児童長に選出 - 1975年 4月
佐賀市立金泉中学校へ入学 - 1976年 11月
金泉中学校生徒会長に選出 - 1978年 4月
佐賀県立佐賀西高等学校へ入学 - 1980年 5月
西高祭前夜祭ファイヤーストーム委員長に選出 - 1982年
佐賀大学経済学部へ入学 - 1983年
佐賀大学経済学部自治会長へ選出 - 1985年(大学4年生)7月26日
父、亮明交通事故に遭う。その日より家業の学習塾を継ぐ。 - 同年 7月31日
父他界。 - 2010年 10月
前年に右腎盂癌で亡くなった親友の死後、なんとなく気になり取ったCTで左腎臓に3.2cmの癌が見つかる。ステージⅠ~Ⅱといわれ、左腎臓全摘。その後3か月、6か月毎に検診を受けるが特に異常なしという事で2012年の検査は1年後の2013年になった。 - 2013年 10月
定期の検査を受けると、大腸のS状結腸に大きな癌が見つかる。 ステージⅢbと診断され15cm切除。この2回目の手術後に自分らしく生きることを真剣に考えるようになり、現在に至る。 - 2017年 10月現在
術後の経過良好。